創立者 古田貞
創立者 古田貞
鳥取家政学園の創立者、古田貞は明治2年に鳥取市に生まれました。明治33年掛出町1番地の自宅で裁縫塾を始め、 家政的実際女子教育の必要性を感じ、明治38年「鳥取裁縫女学校」を創立しました。後に「鳥取技藝女学校」と改称し、大正2年現在地に校舎を移転しました。人格高潔にして、女子教育愛の念厚く、私立学校がともすれば営利に走りがちになるのを避け、月謝もなるべくおさえました。学校職員も多くは無報酬で古田貞を支えました。また、生徒や保護者そして同窓生たちも、学校を支えてきました。そのため古田貞は、「私学といえども学校は公のものである」として、一族のものが経営に関与することを認めませんでした。大正11年10月18日に亡くなられ、当時の新聞は、「燦として輝く五十四年の生涯」とその功績を讃え、その死を惜しんでいました。